仙台市宮城野区グランド今昔シリーズ11あのグランドは今(貴重記録)
2022/02/08
写真右側一体が蒲生球場でした。3月12日にアメリカ海軍によって撮影されたものです。
おともだち作戦が開始された時ですね。
2011年3月11日14:46 東北沿岸部で最大震度マグネチュード9.0の地震が起きました。
過去最大級の被害をもたらした東日本大震災です。
死者行方不明者18,425名(令和3年現在)まもなく11年経とうとしています。
各地の震災復興整備事業も10年の年月を費やしてやっと復興も目に見えるようになりましたが、
これだけ長い年月がかかってしまいました。
さて、仙台市海岸公園野球場(旧蒲生球場)も東日本大震災において甚大な津波被害を
受けたところです。
津波被害の前は、野球、ソフトボール球場として広く仙台市民に利用されていたグランドでした。
仙台市ソフトボール協会の仮設倉庫もありましたが、津波で流されてしまいました。
海岸公園野球場復興事業も完了し、ソフトボールでは、復興記念大会も仙台市協会主催で
令和元年に開催しました。(東日本エルダー復興記念大会)
このような復興記念大会も一過性の大会に終わらせることなく、
震災の記憶を風化させないよう何かしら引き継いでいくことが
必要なのではないか。
とりわけ、私たち宮城野区協会は、宮城野区に所在する公園球場であるがゆえに
何をすべきか考え、声を上げていくことが大事なのではないかと思います。
当資料は、当区審判長に取りまとめてもらいました。貴重なデータと思います。
ぜひ多くの方に(特に関係する方々に)見ていただければと思います。